だいぶ遅れましたが、今週のマガジンで発表されたアンケート結果が大いに編集部の罠だった件について。

突出した意見を出しにくい意識を持つ日本人には思いっきりな罠でしたねえ。
結果から言って、「いじめられても仕方の無い場合がある」というのが多数意見ですか。
本音が出たということで、所詮その程度の意識しか持てない奴らばかりと分かりましたね。
いじめられでもしない限り、『普通』じゃない奴は『治らない』とでも思っているんでしょうか。


他のメディアでも、「いじめはなくならない」というのが多数意見だとか。
確かに昔からいじめと呼ばれるものはあったという意味では、そうですよね。
とある一つの子供たちの社会で、一定のルールやそのものを乱し過ぎ兼ねずガキ大将に修正されるような困った子もいたでしょうが、そこには必ず一本筋が通ってたものだそうで。
例え修正がケンカの強者が弱者を攻撃するものだとしても、引いた線以上に攻撃することは無く、ましてや嫌がらせなどもっての外だったのではないですか。

でもねえ、弱者や個人を一方的に集団でいたぶり、嫌がらせを続け、再起不能にまで追い込むような現代型のいじめは許せません。
ましてや被害を受ける対象は、少しでも『普通』の範疇から外れていればなってしまうとは。
その上被害者をかばう者がいればその人もいじめの対象にする(おそれがある)。つまり、最初に本来あまり関係の無いはずの傍観者も強制的に巻き込んで一クラスなり全員加害者参加状態としてしまうわけです。
ここまで最初にいじめる側の勝手が通るのでは……と言いたいところですが。

掲載の漫画「15の夜」を読んでみると、どうやら最初の原因になる人すらも積極的にいじめ加害者をやる人とは限らないということも分かりやすく描かれています。

…煮詰めて考えますと、やっぱり日本人の閉鎖的なコミュニティを組みたがるくせ、周囲と調和を取りたがるが故にその調和にそぐわない、自分たちとは異質な者(『普通』じゃない者)の存在を許したがらないという精神に問題が見えます。
ただ、ここまでなら昔のガキ大将修正型いじめもあてはまるのですが、その上に現代では個人個人の意思が弱まっており、群れたがる傾向が強くなっているというのが一因かと思います。
自分ひとりで修正したくても、実質手を出すようなことですから教師にバレればがっつり怒られます。
ですから自分たちの集団で『普通』じゃないところがあり、尚且つ集団でかかれば弱そう、反撃を受けなさそう、自分を安全な位置に置いたまま一方的にいたぶれそうなのに目をつければその集団の協力が得やすいというわけですね。集団の個人個人も、赤信号みんなで渡れば怖くないという奴もいますし、協力しないならしないで自分もいじめられると半ば無言の脅しをかけられているんですから。
どこを読んでも、責任回避そのものです。

そして、トドメは『自分より下の立場の奴がいると安心する』という心理ですかね。
集団からいじめられたりハブられるような奴より下という自覚なんて持つ奴はいません。

こんなことが重なって、人間一人一人の良心をも黙らせていじめは起こるんでしょう。


それが、どういうわけか冒頭の意見…………
結局いじめられるような『普通じゃない奴』がいるのが悪いとも聞こえます。

……もう一度。これは責任回避です。

何だかな、この国の人間の深層心理に巣くった弱い部分という悪があちこちで顔を出してるのか。
言うまでもなく本気で解決するなら抜本的に社会全体の考え方を直さなくてはいけませんが、そんなことは国のトップにすら簡単にできるようなことじゃないし、第一当人たちからして責任から逃げまくっているじゃないですか。見本にすらならず、テキトーな対策を出してるだけじゃ解決なぞ遥か彼方一億光年ですよ。

日本人、慎みを持つのは確かに大事なことですが、そのためにやってはダメということとやらなくてはいけないことの区別が付かないのではマズいということですね。




この辺の心理ってその時分で受けてる漫画にも現れてるような気がしますねえ…
強い意志を持つ個人が活躍するカタルシス性の強い作品がある一方、もはや責任回避の心理は仕方ないとするような無気力感が根底に横たわるような漫画も多く見られるのもまた時代かな、と感じずにはいられません。

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