他人に理解してもらいたい。
 それは自分を認めてもらいたいという思いと同じで、そういうと少し自分が贅沢を言っていると思えて来なくもない。
 だけど、そう、本当に最低限のレベルでさえ自分を見てもらえないというのは…
 つらい。苦しい。
 そんな人は誰もいなくて、そして今の自分は他人の心を思いやれない勝手な連中の玩具も同然。
 これで自分以外の誰かに、自分を見てもらいたいというのは、それでも我が儘なのかな。

 学校にも行けず半ば引きこもりになっていた僕の前に、彼が現れたのはある秋の日の昼下がり。
 いきなり家に来たりとか少し世間からずれた感じがしながら、妙に説得力のあることを話す不思議な人だった。
 よく分からないが、僕のことを知っていたらしい。自分の知らないところで自分を知られているのはあまりいい気分はしないものだけど、彼は僕自身しか分からないような細かい悩みまでぴたりと言い当ててきた。そこらの詐欺師やら宗教やらでは、人にいくつか分かれた質問をせずに完璧に言い当てることはないだろう。
 なおも胡散臭げな視線を向ける僕に、離れて暮らす僕の両親には先に事情を知らせてあると言う。先に言ってほしかった。
 それからしばらく、彼を迎えた二人での生活が始まった。

 彼の行動、そして彼を何とか信じられた僕は、正解だった。
 他人でありながら同居人。近い友人というような微妙に親密な距離からの視線は、その後僕をさらに理解していってくれた。
 なぜ彼がそんなことをしたのかは分からない。
 だが…実際に一人に戻った僕が、彼に出会う前のように何もしないまま年月を重ねていくだけではなくなったのは、間違いない。


人間相互理解って難しいもんです。
世の中、それを放棄している人が多いってのもありますしねえ。

コメント

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索