萌える男(後)

2005年11月18日 読書
(本日分の前の日記の続き)
「萌える男はすでに男ですらなく、少女と一体化しているわけだ」。
…やけに最近ぇろげ離れが酷いわけです。乙女回路が形成されていなければそういう状態になれるわけがありませんもんね。
次で以前から気になっていた「処女(おとめ)はお姉さま(ボク)に恋をする」がついに登場。「しろはた」でさんざん見たあの文は、つまりはこういうことだったのかとようやく納得…遅すぎました。

第五章ですが…
ようやく「電波大戦」での滝本氏との対談での意味が理解できました。
滝本「だって、冷静に考えれば、『電波男』の価値と、本田さんが彼女を作ることには何の関係もないじゃないですか? そういうことがわからないファンは、メディアに洗脳されいてるんですよ。
ばっちりメディアに洗脳されちまってる、修行が足らんなあ…などと漠然と思っていまして、結局なんでやねんという疑問が拭えなかったのですが、本田氏がここで「恋愛とは個人の問題ではない。社会問題である」と斬ってくれたおかげで。
行き着くとこまで考えればほとんどの問題は社会に帰結する、とは昨日書きましたが、自分の意思に関わらず恋愛難民が大量発生している現状は間違い無く恋愛資本主義社会に原因があるわけですね。

共同幻想。
常々俺が思っている「常識とは集団妄想に過ぎない」というのはこれに当て嵌まるのでしょう。
社会通念上で常識といわれていることは、そこからは異端と取れるそれ以外のモノからすれば意味の無い価値観がまかり通っていて非常に鬱陶しく馬鹿馬鹿しく見えるものだったりすることがあります。

恋愛できないがために愛が塞ぎとめられ鬼畜化してしまう。それを防ぐ為、萌えによって愛を二次元に昇華して三次元ではおとなしくできる。
萌えが生まれた背景には、沈黙は金なりとできるだけ行動も態度も控えめにする日本人の人種的な思考も相まって隆盛したものと俺は考えます。
元来控えめなために規律は破るより守る方が得意な日本人は、鬼畜化して犯罪しちゃうよりは何事も無いように自分の脳内で済ませる方向に考えが進んでいったのだと思います。
赤の他人にも思いやりを持てる優しい思考形態が生み出した奇跡とも言えましょう。

第六章。一元論の話が上がっています。
今日の日記の本文冒頭で感想を読んできたと書きましたが、コレに対して批判的な人はやっぱり一元論に捕らわれてるんじゃないかなあ、と。
さらに他の人が書いている通り、どうもこの本はヲタ向けで特に萌えを批判したがる人や元々こっちの世界を知らない人が読んでも「理屈は分かるが納得いかねえ」どころか「何言ってるのかさっぱりわからねえ」という人まで出てきかねません。
解説は素晴らしいんですが説得性となると、ちょっと…
ただ物書きの端くれとしてそういう文を書くのは本当に難しい、ということぐらいは分かりますが。

総評。
上記の通りやはりもったいないです。
しかし更に萌えについて知識を掘り下げることができました。
新鮮な驚きも多かったですし…

あといつものアレ…悪い癖。
Amazonにレビュー投稿して弾かれたという人。
もう一回読み直し。肝心な部分に限って読み飛ばしているとしか思えません。
そして観念的思考も捨てるともっといいと思いますよ。
この本の中では萌えは単なる趣味では無いんですから。

本日の検索ワード。
以前見たへんないきもの フィギュアという検索。
↓…マジあったーーー! いらねっすけど。
http://anex.fc2web.com/figure/hen/hen.html

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