中学レベルの英文ですら怪しいほど忘れかけた堂木ですこん○○は。
今日のこの日、また新たに齢を重ねたこの日に俺は何かに気付きました。
社会と人間です。

俺がこの社会を理不尽と考えているのは教育内容と実際に社会で必要なことの乖離にあるというのが原点です。
最近あまり言われないとはいえ自由を銘打ってある我が国ですが、実態はそれにかかる責任が大きすぎてとても自由なんぞ無いような状態です。まさに「自由とは自由であるように呪われていることである(スーパーロボット大戦EX・シュウの章より)」てな感じだと思います。ていうか生きるためには最低限でも金が無いと何もできないんじゃ自由もクソもへったくれも無いでしょうが。この社会では金が無いのは首が無いのと同じコトですもんねえ。
で、話を戻しますとその自由な社会の中で生きるためには仕事に就かねばならないのですが、教育現場で教えている大体のことはその仕事の中で必要なことでありまして、その仕事に就くためにどうすればいいかは筆記試験の内容を除き全くと言っていいほど教えてないんです。学校によっては教えることもあるかも知れませんが、大抵は授業時間との兼ね合わせでそんなことしている余裕もありません。ゆとり教育以前の問題です。
さらに、学校の中で求められる理想の学生像。こいつが曲者です。
少なくとも校内では品行方正成績優秀行事もバリバリ積極的に参加する生徒会に属しているような特に優秀な生徒に関しては言う事は無いです。社会に出ても問題無くやっていける人たちでしょう。
校則破って髪を染めたり変なアクセサリー付ける等色気づいたことやっている連中や不良共などは当然校則を遵守させようとする教師からいい目では見られません。ところがこういう人たちは学校以外にも人間関係のある奴等がほとんどです。人間関係があるから他人によく見られようとオサレしたり他人にナメられないようにとツッパってるわけですから。大なり小なりそういう上下関係がある小さな「社会」に属している経験は、大人になってからの社会でも有利なものです。
で、ここで問いたいのは残りの生徒。俺も高校ではこのグループでした(ちなみに中学まではここで書いてるどのタイプにも入らない、本来大人しいけどすぐにファビョる性格に異常に問題のある生徒でした)。
いわゆる大人しいタイプ。校則も守り、大して問題を起こす事もなく、勉強もそこそこ以上できるけど目立たない生徒たちのことです。
そんでもってその一部は生活していく上で心に深い闇を抱えているのに誰にも気付かれること無く、見た目突然に爆発して新聞に載っちゃう様な事件を起こすような生徒たちの事です。
「目立たない」ということは積極性が無いということですが、そういう生徒たちは学校側にしても手がかからない(と思われている)ので誰も何も言いません。
こういう生徒たちがいる時点で学校はすでに社会の入り口としての機能が果たされていないんですね。

どうしてそんな消極的な生徒たちが育つか、俺はずっと疑問に思ってました。
しかしネットしていく間にこんなものを見つけて氷解しました。
http://www.hiroiro.com/index.php?eid=1520
鈴木みそ氏のオールナイトライブという漫画、ここの後編に載っています。

結局学校側が元々素直な生徒たちをそういう人間にしているわけですか。
実際社会を見てみますとどう考えてもおかしいんですよ。
確かに人間的な道徳は身に付きます。
んが、それを本気で守ろうとするとまともな職に就けません。
職に就くためには面接が必要です。その面接には積極性が必要。
ところがそういう生徒たちは積極性に欠け、結果やりたいことも見つからないから適当に受けた面接は落ちるし、仕事を探す気力も失せる。
人間慎重であれと教えられてこのザマ。どうしろと。
この社会は自由競争の名の元、そういった道徳心をある程度切り捨てないとやっていけない競争社会なんですね。

電波大戦の「おわりに」の冒頭より…
最近の世の中はどこか壊れていると思うのです。
本気で大真面目に何の疑問もさしはさまずに「自分さえ良ければそれでいい」と思っている人が増えていると思うのです。
本田透氏はその原因を恋愛至上主義にあると言いますが、俺には「自由」にかこつけたこの競争社会にも問題があると思うんです。
他人を踏みつけてその上に立つ。こんなこと、本気で他人を思っていたらできないんですよ。他人にだってそれぞれの家族や生活がある。だったら自分は低位に甘んじてもそれを優しく見届けてやりたい。多少自分が不自由しても、その人が満足しているのを見ている方がいい。

そんな思いは「他人を気にしている余裕が無い」と言って考えないようにして切り捨てられています。
知らず知らずのうちに、それが何時の間にか「自分は自分しかいない特別なんだから良くなるために社会的に努力しているだけ、他人が『自分さえよければいい』という考え方とは違う」という考え方にすりかわってしまう。
「社会的に努力している」ということは、この場合はつまり他人を踏みつけて社会的に上の立場になるということも含まれてます。
どういうことかお分かりでしょうか。
恐ろしいものです。

職種によってはそういった考えがあてはまらないものもありますが、先ほどのように学生時代を生きた人たちが就くにはなんにせよ力不足だったりすることが多いのはもはや言うまでも無いことでしょう。

結局、学校ではよほど積極的に行事などをこなしていけるか、さもなくば適度に反抗しながらやっていける人じゃないと社会に出るに出られなくなるということです。
「無難」をよしとされているので「無難」に学校生活を送ったらいざ社会に出てどうしようもなくなる。
つまり学校には良くも悪くも反骨精神を持つ必要があり、基本的に生活面では反面教師とするのがするのが一番いいということです。

…これが我が国の教育、しかも一部は義務なんですな。
これじゃあ現状フリーターやニートが増えるの止められませんがな。
そして根本的にまで原因を探って行くと…

悪いのは学校で教える道徳→カリキュラムに問題アリ→文部科学省の怠慢→国ゴルァ

うわ自分で書いててすっげえ思考の飛躍。
しかし全く間違ってるとも思えないので俺は謝りません。
現状の問題は結局国の頭にアリ、と。

以前某氏に「社会を悪く言っても情けないだけ」みたいなことを言われた事があります。
そのときはその人が凹んでいる原因について言及してみたんですが、確かに人に考えを押し付けた感じで俺がまずかったというのは間違い無くあります。
とは言え、個人的にはこの考えは間違ってないと思うんですよ。いかに情けなくてもそれが本当ならばしっかり言わなければいけないと思うんです。誰も言わないためにいつの間にかおかしい状態が普通になってしまう。それを忌避するためには間違ってる事は間違ってると誰かが声を上げていなければならないのではないのでしょうか。

今日の社会的ルサンチマン分、オワリ。

本日の検索ワード。
:サイレン 2DX
髭のハーフあんちゃんサイレン。
弐寺DJキャラでハーフな人は変な人が多くて面白いです。

:いじめ 被害者 老成
俺俺(何)。

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